わたしにとって、大事なこと
1995年1月17日
私は大学3回生で、朝の4時まで設計課題に取り組んでました。眠りについたのもつかの間、激しい揺れで叩き起こされ、父が必死にタンスを押えていたのを覚えています。
しばらくすると揺れがおさまり、私は再び眠りにつき、数時間後、テレビをつけて、その映像に愕然としました。そして、その半年後、私は就職活動で写真の長田区を歩き、今でも、異常な光景が目に焼き付いています。
16年後、私は衝動に駆られ、仙台から福島をレンタカーで走りました。
震災のあとの神戸で働いた者として、見ておかなければならないと感じました。
「破壊された防波堤」 「打ち上げられた船」
「第一原発につづく道の封鎖」 「迂回路で走った壊れていないのに人のいない家屋」
神戸の震災では遺品を倒れた家屋から探せましたが、それをも許さぬ自然の脅威そして、人間がつくった原発の脅威。阪神大震災後、耐震基準が見直されました。しかし、この津波に対抗できるとは思えません。ですが、自然の脅威には勝てないかもしれませんが、人間が作った脅威に勝たなければなりません。