原点
三つの地震
私がこの仕事を選び、いまも続けている理由は、三つの地震にあります。そのたびに、逃げるのか、逃げないのかを問われてきました。
1995年から、三十年。逃げるのか、逃げないのかを問われてきた三つの地点です。
一つ目 ── 阪神淡路大震災
1995年1月17日、私は建築の大学生でした。ボランティアにも参加せず、テレビの映像を見て、建築の脆弱性に恐怖するばかりでした。
建築が人を殺す。そんな建物を建ててはいけない。ここが私の原点です。
就職活動はうまくいかず、神戸市長田区の建設会社に入りました。自分では、逃亡地への就職だと思っていました。
けれど、復興マンションで住民の方の引っ越しを手伝ったとき、涙ながらに感謝をされたのです。建築は、人の生活を立て直す側にも立てる。そのことを、そこで知りました。
1999年から2000年、ワーキングホリデーでニュージーランドへ行きました。妻と出会った場所です。
二つ目 ── ニュージーランド地震(2011年2月)
もう逃げないと決めていたので、ボランティアに行こうと画策していました。その矢先の3月に、三つ目が来ました。東日本大震災です。
三つ目 ── 東日本大震災(2011年3月)
ニュージーランドの設計事務所からは、「日本をなんとかしろ」と言われました。2011年9月、広島から宮城へ、宮城から福島へ、車で走りました。
そこで得た結論が、いまの仕事の土台になっています。
津波には勝てない。しかし、省エネで原発に頼らない社会は目指せる。
2013年1月1日、Pleasant Design を創業しました。双子の子育ての最中でした。
子どもたちが生まれたとき、90歳の祖母と会いました。
母が言いました。「100年生きてきた人と、今から100年生きる人が出会うのは奇跡」
そこで初めて、すべてつながっていくのだと、理解しました。
私がいなくなっても、子どもたちの未来は続いていく。だから、私たち大人が行動しなければならない。
創業のときに掲げた理念は、「未来の子どもたちの笑顔を守る」でした。
2013年、創業の年。100年後の子どもたちを守りたい、と考えていました。
私たちが、あってはならないと考えていることがあります。人が住めなくなる町。絶望に打ちのめされる人。
災害は必ず来ます。それでも、少しでも災害に強い住まいと町にして、人々が絶望に打ちのめされず、前を向ける未来をつくりたい。三つの地震を見て行動してきた私の、変わらない動機です。
思いだけで起業したので、経営には苦労しました。そこから、経済性も大事だと痛感し、経営者としての学びを深めました。持続可能な社会を実現するためには、まず、自分が持続可能でないといけない。
それでも、夢を追いかけないのであれば、経営者である必要はないと考えています。叶えたい未来があるから起業しました。
夢を追いかけるため、逃げずに進みます。